般若心経・金剛般若経 二

般若波羅蜜多心経は、こう始まります。

「観自在菩薩(かんじざいぼさつ)」と。

私は、この観自在菩薩と言う文字を見る度に何とも言えない落ち着いたものを感じずにはいられません。

「行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにやはらみつたじ)」

読み下し文は

「深般若波羅蜜多を行じし時、」

です。

これを現代語訳にすると、

「求道者にして聖なる観音は、深遠なる智慧の完成を実践していたとき、」

となります。

「観自在菩薩」が「求道者」と訳されていますが、観自在菩薩とは、誰もが具えている働きで、我執を捨てて多くの人々の中に生きようと願い、足を踏み出す時、輝き現われて来るもので、菩薩とは、求道者の事を一般には現わします。

つまり、「観自在菩薩」とは、森羅万象を全て見渡した求道者と言う意味が浮かび上がってきます。

そして、「深般若波羅蜜多時。」とは、前回に書いたように般若とは智慧のことで、そこに深とあるので、深遠と言うことになります。つまり、誰もが求道者となり得、差の求道者とは奥深い智慧の完成を飽くなき完成を目指すものということです。

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