般若心経・金剛般若経 三十四

現代語訳

「かれらは、かの自我に対する執着があるだろうし、生きているものに対する執着、個体に対する執着、個人に対する執着があるだろうから。

もしも、《ものでないものという思い》がおこるならば、かれらには、かの自我に対する執着があるだろうし、生きているものに対する執着、個体に対する執着、個人に対する執着があるだろうからだ。

それはなぜだろう。

実に、また、スブーティよ、求道者・すぐれた人々は、法をとりあげてもいけないし、法でないものをとりあげてもいけないからだ。

それだから、如来は、この趣意で、次のようなことばを説かれた――『筏の喩えの法門を知る人は、法さえも捨てなければならない。まして、法でないものはなおさらのことである。』と。」

さらに、また、師はスブーティ長老に向かってこのように問われた――「スブーティよ、どう思うか。如来が、この上ない正しい覚りであるとして現に覚っている法がなにあるだろうか。また、如来によって教え示された法がなにかあるだろうか。」

こう問われた時に、スブーティ長老は師に向かってこのように答えた――「師よ、わたくしが師の説かれたところの意味を理解したところによると、如来が、この上ない正しい覚りである」

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