承前
この説によると、第二の五百年代とは、「像法」の時代になります。しかし、大乗仏教が興起した時代の一般観念として、釈尊がなくなってから後百年経つと宗教的な変動があり、大乗経典が世の中に行われるようになると考えていた。このことは諸の大乗経典の記載から見ても明らかです。故に「金剛経」もむこの観念を受けて、第二の五百年代には仏教が乱れ、変動が起きる、と考えていました。
釈尊が滅しての第二の五百年後に仏教の教えが滅びると言います。これを末法思想と言いますが、現代に置き換えると、1999年の奇妙な世紀末での民衆の奇妙な心持に通じるものがあるように思います。1999年の変に高揚し、未来に絶望する感情は、何故か、全世界を蔽い、不思議なときでありました。このようなことが釈尊が滅して五百年、千年と経ったときにも、妙に浮き足だった様が民衆の間に起り、日本では、鎌倉仏教が生まれたように思います。
末法思想は、現在にも脈々と受け継がれているのです。