般若心経・金剛般若経 二十七

「須菩提。於意云何。可以身相見如來。不也世尊。不可以身相得見如來。何以故。如來所説身相。佛告須菩提。凡所有相是虚妄。若見諸相非相。則見如來。」

書き下し文

「スブーティよ、意においていかに。身相(しんそう)を以て如来を見るべきやいなや。』『いななり、世尊よ、身を以て如来を見ることを得べからず。何を以ての故に。如来の説きたまえるところの身相は、すなわち、身相に非ざればなり。』仏、須菩提に告げたもう、『およそあらゆる相は皆これ虚妄(こもう)なり。もし諸相は相に非ずと見るときは、すなわち如来を見る。』」

現代語訳

「5
スブーティよ、どう思うか、如来は特徴をそなえたものと見るべきであろうか。」
スブーティは答えた――『師よ、そう見るべきではありません。如来は特徴をそなえたものと見てはならないのです。それはなぜかというと、師よ、〈特徴をそなえているということは特徴をそなえていないことだ〉と、如来が仰せられたからです。』

このように答えられたとき、師はスブーティ長老に向かって次のように言われた――『スブーティよ、特徴をそなえているといえば、それはいつわりであり、特徴をそなえていないといえば、それはいつわりではない。だから、特徴があるということ、特徴がないこととその両方から如来を見なければならないのだ。」

特徴:仏の特徴といわれる「三十二相」の事をいいます。仏のみに存し、凡夫にはない三十二の身体的特徴をいいます。

如来は特徴(註を参照)を備えているということは特徴をそなえていないことだ、とこれまた、難しい事を言っています。如来に鑿あるといわれる三十二相は、あるのですが、ないということなのです、と言っています。それを 虚妄と言っています。此の世の現象は虚妄なのです。しかし、訳尻顔に、「此の世は虚妄」などと言ったところで、涅槃には到底近づけません。

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