「不也世尊。須菩提。南西北方四維上下虚空可思量不。不也世尊。須菩提。菩薩無住相布施福徳。亦復如是不可思量。須菩提。菩薩但應如所教住。」
書き下し文
「『いななり、世尊よ。』『須菩提よ、南西北方思維上下の虚空は思量すべきやー、いなや。』『いななり、世尊よ。』『須菩提よ、菩薩の、相に住すること無き布施の福徳も、またまた、かくの如く、思量すべからず。』『須菩提よ、菩薩は、ただ、まさに教うる所の如くに住すべし。』」
現代語訳
「スブーティは答えた――『師よ、計り知れません。』
師は問われた――『これと同じように南や西や北や下や上の方角など、あまねく十万の虚空の量は、たやすく計り知れるだろうか。』
スブーティは答えた――『師よ、計り知れません。』
師は言われた――『スブーティよ、これと同じことだ。もし求道者がとらわれるところなく施しをすれば、その功徳の積み重なりはたやすくは計り知られない。
実にスブーティよ、求道者の道に向かうものは、このように、跡をのこしたいという思いにとらわれないようにして施しをしなければならないのだ。』」
虚空が計り知れないと同じように求道者が何物にも囚われずに、また、跡をのこしたいと思わずに施しをすれば、それは、計り知れないと言います。しかし、人間ならば、特に現代人は、未だ出現していない未来人に対しての責任があります。例えば、現在の繁栄のために、将来の事を全く考えずに資源の浪費をする事は未来人に対して申し訳ありません。地球温暖化もまた、同じです。現代人は、生きているだけで、その跡をのこす宿命にあります。この宿命を背負い、未だ出現していない未来人のために、節度ある日常を生きなければなりません。欲望を肥大化する時代は過ぎ去ったと言えます。