般若心経・金剛般若経 二十三

前述の文を読んで、これは、一筋縄ではいかないな、と感じ入るのではないでしょうか。存在、非在、表象、非=表象、そして、それらの中間に位置するものなどなど、森羅万象は《悩みのない永遠の平安》に導き入れるという事であり、また、そうではないと言います。

何とも非論理的な物言いです。

しかし、人間の存在というものは、論理的で生きてなといなくて、感情の爆発など、非論理的な「情動」に流されながら、日常を生きているものです。それを《悩みのない永遠の平安》の境地へと導き入れるなどいうのは、壮大な夢にしか思えません。それを察してか、世尊は、《悩みのない永遠の平安》の境地に導き入れても、実際は、誰も《悩みのない永遠の平安》に導き入れられないと言っています。つまり、これは、永劫に追い駆けっこが続くということです。逆に言えば、誰もが、《悩みのない永遠の平安》の境地にあると言っているのかもしれません。

此の世の森羅万象は、絶えず《悩みのない永遠の平安》の境地と背中合わせにありながら、それに気付かずにいると言っているのかもしれません。つまり、極楽はとても身近なところにあり、それがあまりにも身近にある故に、永劫に到達できないものと言っているようです。

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