般若心経・金剛般若経 二十

阿耨多羅三藐三菩薩の心:この上ない正しい悟りに向かう心

如来・尊敬されるべき人・正しく目覚めた人:仏陀の別名で、「如来・応供(おうぐ)・正等覚者(しようとうかくしや)」と漢訳されるものです。シナ日本の仏教では「そのように(生けるものどもを救うために)来たりし人」と解し、救済者的性格をふよして「如来」と訳しました。

最上の恵み:最上の恵みとは、身体ならびにそれに関係した行のことであると知るべきである」といいます。

最上の委嘱:最上の委嘱とは、既に得ているものも、未だ得ていないものも両方ともに手離すことはないというである」と言います。

求道者の道に向かう:菩薩の乗り物で進んでゆく者

以上註です。

さて、このスブーティ長老のといによって 金剛般若経は始まります。

この問いに対して仏陀は次のように答えます。

「佛言。善哉善哉。須菩提。如汝所説。如來善護念諸菩薩。善付嘱諸菩薩。汝今諦聽。當爲汝説。善男子善女人。發阿耨多羅三藐三菩薩心。應如是住如是降伏其心。」

書き下し文

「仏言いたもう、『よいかな、よいかな、須菩提よ、汝の説く所の如く、如来はよくもろもろの菩薩を護念し、よくもろもろの菩薩に付嘱(ふぞく)す。汝、今、諦(あきら)かに聴け、まさに汝のために説くべし。善男子善女人、阿耨多羅三藐三菩薩の心を発さんに、まさにかくの如く住し、かくの如くその心を降伏すべし』」

現代語訳は次回に譲ります。

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