般若心経・金剛般若経 十七

承前

天竺三蔵:天竺とはインドのこと。三蔵とは経・律・論の三蔵(すなわち仏経聖典の三つの区分)に通暁した僧を指して言います、ただし、鳩摩羅什は純粋にインド人ではなく、インド文化圏である中央アジアから来たので、このように呼んだのです。

鳩摩羅什:クマーラジーヴァ(三四四~四一三)の音訳。中央アジアの亀茲(きじ)国(現名クッチャ)の生まれです。父はインド人で、母は亀茲国の王の妹でした。諸方を遊学して後、亀茲国で大乗仏教を宣揚し、四〇一年に姚秦の国王姚興に迎えられ、長安に入り、十三年間に三百予巻の経典を訳しました。彼の没年に関しては種々の異説がありますが、最近の研究によりますと、彼は、弘始十一年(四〇一年)に没したと解しますが、最も穏当で、彼は五十二歳(四〇一年)の末から六十歳(四〇九年)まで長安で活躍しました。

祇樹給孤獨園:「ジュートゥリ太子の森」の意。ジュートゥリは「戦勝者」の意味で、パセーナディ王の王子の名でした。俗語では合成語の中でJetaとなります。給孤独は「孤独なる者に食を給する者」の意。スダッタ長者の異名です。スダッタ長者が、ブッダ(仏陀)に奉献する精舎の敷地を求めてジュートゥリ太子の林苑に候補地を発見し、金貨を集めて購おうとした話は有名です。この地に建てられた精舎を祇樹給孤獨園精舎、りゃくして祇園精舎と言います。

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