般若心経・金剛般若経 十

「無無明(むむみよう)。亦無無明盡(やくむむみようじん)。」

書き下し文

「無明もなく、また、無明の尽きることもなし。」

現代語訳

「(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなくなることもない。」

無明もなく、

これは、十二因縁の各支の名目をあげるべきところを省略したのです。
1. 無明(むみょう):過去世に無限に続いてきている迷いの根本である無知
2. 行(ぎょう):過去世のむみょうによって創る善悪の行業
3. 識:過去世の業によってうけた現世の受胎の一念
4. 名色(みょうしき):胎中における心と体
5. 六入:胎内で整う眼などの五根と意根
6. 触:出胎してしばらくは苦楽を識別するには至らず、物に触れる働きのみがある
7. 受:苦・楽・不苦不楽、好悪を感受する感覚
8. 愛:苦を避け常に楽を追求する根本欲望
9. 取:自己の欲するものに執着する働き
10. 有:受取によって種々の業を作り未来の結果を引き起こす働き
11. 生:
12. 老死:以上のように過去の因(無明・行)と現在の果(識・名色・六入・触受)、現在の因(愛・取・有)と未来の果(生・老死)という二重の因果を示すものとして、これを三世両重の因果と言います。

ここでもまた、「ない」ことが語られています。無明がないし、無無明もまた、ないのです。徹底しています。これほど徹底したものだからこそ、現代でも仏教は新しいのです。つまり、徹底しなければ、大悟など得られる筈もないのです。まずは、ないない尽くしで、徹底して融通無碍の境地に至る事が求められているように思えます。

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