「不増不減(ふぞうふげん)。是故空中(ぜこくうちゆう)。無色(むしき)。無受想行識(むじゆそうぎようしき)。無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)。無色聲香味觸ほう(むしきしようこうみそくほう)。無眼界(むげんかい)。乃至無意識界(ないしむいしきかい)。」
読み下し文
「増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなく、乃至、意識界もなし。」
現代語訳
「増すということもなく、減るということもない。
それ故に、シャーリプトラよ、
実体がないという立場に置いては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく知識もない。眼もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、形もなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触られる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域に至るまで悉くないのである。」
不増不減は、前記の「実体がない」を受けてのものです。そして、さらに、「ない」と続くのです。この徹底ぶりは、凄まじいとしか言いようがありません。「実体がないという立場においては」、あらゆるものが「ない」のです。これは当然と言えば、当然なのかもしれませんが、物質的現象、感覚、表象、意志、知識、眼、耳、鼻、舌、身体、心、形、声、香り、味、触られる対象、心の対象、眼の領域、意識の領域まで、全てがないのです。つまり、私たちが、普通に感じたり思ったりしていることは、虚妄でしかないと言っています。無明という言葉で後ほどそれは語られるのですが、それは、後です。ここでは、《存在》とは、虚妄でしかなく、全ての事は「ない」という境地があるというように思えます。《存在》はそんな境地に至れるのです。この境地は、融通無碍な境地なのだと思います。また、自由自在な境地に違いありません。
しかし、この境地に至るには、如何程の修業が必要なのか、それは、頂上の解からない山を登るに等しい荒行が必要なのかもしれません。それは、途轍もなく、困難が待っているのは、誰の眼にも明らかです。