「舎利子(しやりし)。是諸法空相(ぜしよほうくうそう)。」
読み下し文
「舎利子よ、この諸法は空相にして、」
現代語訳
「シャーリプトラよ。この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。」
再び「実体がない」です。念を押すように般若心経では、初めに、「実体がない」という言葉が、手を変え品を変えて出てきます。つまり、仏教では、「ない」という事が基本なのです。「ある」ではありません。「ない」なのです。「実体がない」というこの言葉の重さは、存在論的に絶対的無が先立つのです。次に進みます。
「不生不滅(ふしようふめつ)。不垢不浄(ふくふじよう)。」
読み下し文
「生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、」
現代語訳
「生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでなく、」
すべてが「不」なのです。「ない」に続いて「不」です。般若心経では、「ない」に続いて「不」により、この世の現象をことごとく否定してゆきます。全てが虚妄として。これは、現代に追いても大胆な考え方に思えます。初めに否定ありき。これが仏教なのではないではないでしょうか。ここまで、「存在」はことごとく否定されています。