般若心経・金剛般若経 三十一

現代語訳

「徳高く、戒律を守り、智慧深い求道者・すぐれた人々は、このような経典の言葉が説かれるとき、それは真実だと思うに違いない。スブーティよ、また、かれら求道者・すぐれた人々は、ひとりめざめた人(仏)に近づき帰依(きえ)したり、ひとり目ざめた人のもとで善の根を植えたりしただけでなく、何十万という多くの目ざめた人々(諸仏)に近づき帰依したり、何十万という多くの目ざめた人々のもとで善の根を植えたりしたことのある人々であって、このような経典の言葉に説かれるとき、ひたすらに清らかな信仰を得るに違いないのだ。

スブーティよ、如来は目ざめた人の智慧でかれらを知っている。スブーティよ、如来は目ざめた人の眼でかれらを見ている。スブーティよ、如来はかれらを覚っている。スブーティよ、かれらすべては、計り知れず、数えきれない功徳を積んで、自分のものとするようになるに違いないのだ。

それはなぜかというと、スブーティよ、実にこれらの求道者・すぐれた人々には、自我という思いはおこらないし、生存するものという思いも、個体という思いも、 個人という思いもおこらないからだ。(つづく)

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